強欲な壺

前回に引き続きお遍路のお話。

お遍路では時々地元の方から“お接待”を受けることがあります。
お接待とは遍路をしている人、お遍路さんに食べ物や宿泊場所を無償でふるまう行為を言います。
驚くことに時には現金をいただくこともあります。



また、お遍路には「同行二人」という言葉があり、お遍路さんは一人で歩いているのではなく、常に弘法大師空海と一緒に修行をしているとみなされています。ですから、お接待はお遍路さんを通して空海をも労っているわけです。また、自身の功徳を積む為であったり、自分で参拝することが困難な場合はお遍路さんに祈りを託す代参の意味合いもあります。

お遍路をする前にネットや本で経験談を目にしていたので、知識として知ってはいたのですが実際にお接待を受けるとその親切が心に染み、本当に恐縮してしまいます。歩いていて四国はお接待の文化が今でも根付いていることを本当に実感しました。

注意しなければならないことは、お接待は決して“サービス”ではないということです。当たり前のことですが、こちらから欲するものでなく、謹んで感謝していただくということが大前提です。ですが人間慣れてくると傲慢になるものです。かく言う私もそうでした。

私がお遍路をしていた時、徳島県を過ぎ高知県に差し掛かったころだったと思います。甘党の私は商店に立ち寄り、いくつかのお菓子を購入しようとしました。棚に目をやると、高知県名物の芋けんぴが並んでいました。艶のある芋けんぴを見て即決でレジに持っていこうと思ったのですが、一人で食べるには多すぎる大袋で、値段も100円前後とはいきません。貧乏学生の私は購入をためらいました。

その時、頭にふと「歩いていたらお接待で貰えるかも」という邪な考えが思いつきました。
しばらく思案した後、芋けんぴ購入は保留にし歩き始めました。
歩いているといろいろなことを考えるのですが、途中芋けんぴをお接待していただくという浅ましい願いを悔い、懺悔しました。まあ思った時点で姦淫を犯していますね。そして、そのことをすっかり忘れた高知県も終盤差し掛かる頃、奇跡が起こりました。

「お遍路さーん!」静かな農村を歩いていると、軽トラックに乗っていたご夫婦が追いかけてきてくださって、私に声をかけて下さいました。労いの言葉をかけてくださり、小袋に入ったお菓子をくださいました。
ご夫婦と別れ、おもむろに袋を開けると、そこには薄い透明なビニール袋に小分けされた芋ケンピがありました。思わず  「けんぴ!!!」と発していました。今までで1番美味しい芋けんぴでした。打算はよくない。



お遍路中、なぜ四国の方は見ず知らずの人にお接待をするのか考えて見ると、日常でも沢山の方にお世話になっていることに気がつきます。「袖振り合うも他生の縁」という言葉があります。道を歩いていて誰かとが袖触れあっても、それは偶然ではなく深い縁があるのだというのが大意なのですが、出会う全ての方には縁があり、自分と全く関係のない人は存在しないのかもしれません。お遍路ではわかりやすい形でお接待として現れていますが、日常でも同じことです。

お遍路をする人にとっては非日常でも四国の方にとっては日常です日常でお接待を実践されてらっしゃる皆さまには頭が下がります。私も宿を通して、日常でお客様に何かお接待ができればと思っています。

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